僕が見たのははキャサリン・ライアン・ハイドの小説を原作とする映画だ。
中学1年生の少年は学校の課題をキッカケに社会運動を始める。
「ペイ・フォワード」
自分が善意を受け取ったとき、相手にお返し…僕が見たのははキャサリン・ライアン・ハイドの小説を原作とする映画だ。
中学1年生の少年は学校の課題をキッカケに社会運動を始める。
「ペイ・フォワード」
自分が善意を受け取ったとき、相手にお返しをするのではなく、別の3人に善意を渡す。すると世界中が善意であふれるようになる、という提案だ。
この映画は衝撃的な結末だと言われる。
僕は、この結末が好きだ。なぜならこの結末にリアリティを感じるからだ。
"善意を渡す"を続けると必ずこうなる。
以前、クラスのイジメをとめたら自分がターゲットにされたと書いた。その前日まで、普通に何人も友達がいた。グループに入っていた。休みの日にスポーツをしたり、一緒に買い物に行ったり、学校生活を楽しんでいた。
イジメをとめた瞬間に全てを失った。
"善意を渡す"というのは個人の利益を手放すということだ。
もちろん不満はない。僕が勝手にやったことだ。
勝手に個人の利益を手放した。
だけど、こっそり、誰もいないところで、「イジメをとめて偉かったね」とか「ターゲットにならないために無視はするけど本心では嫌ってないよ」とか、たったひとことでも言葉をかけてくれる人がいたら、よかった。
1人でもいたらそれでよかった。でも現実には1人もいなかった。"善意を渡す"を続けると必ずこうなるのだ。展開▼
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僕が見たのは漫画版だ。テイストが違うようなので実写版は見ていない。
主人公の2人は不良だ。1970年~80年のツッパリと呼ばれるタイプの不良であり、暴力や犯罪的なこともする。僕の時代にはもうツッパ…僕が見たのは漫画版だ。テイストが違うようなので実写版は見ていない。
主人公の2人は不良だ。1970年~80年のツッパリと呼ばれるタイプの不良であり、暴力や犯罪的なこともする。僕の時代にはもうツッパリは絶滅していたが、イジメは相変わらず存在していた。
僕が好きだったのは伊藤真司が持っている"意地"だ。具体的には、よってたかって、を許さないところだ。
だから僕もそうした。
高校のクラスメイトの男子がイジメられていたので助けたいと思った。
よってたかって、が気に入らなかった。
僕が主犯に突っかかったことで、その男子がイジメられることはなくなった。
漫画なら、めでたしめでたしの展開。
現実は違う。
それから僕は卒業までターゲットになった。
約1年間にわたって攻撃を受けた。
もともと仲の良かった友達も、僕とは話さなくなった。
僕が助けた男子が、近寄ってくることもない。
昨日までは学校が終わったあと遊びに出かけていたのに。
急に独りになった。
たった1日の行動で1年間のポジションが変わる。
それでも後悔しなかった。
意地を張り通したからだ。
自分が正しいと思うことをし続ける。
伊藤真司から受け取った意地はまだ折れてない。展開▼
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ターちゃんは幼い頃にサバンナに捨てられ、チンパンジーに育てられた。
小学生だった僕がターちゃんから教わったことは正義の心と多様性だ。ターちゃんは動物が好きなので肉を食べない。だが、他人が肉を食べる…ターちゃんは幼い頃にサバンナに捨てられ、チンパンジーに育てられた。
小学生だった僕がターちゃんから教わったことは正義の心と多様性だ。ターちゃんは動物が好きなので肉を食べない。だが、他人が肉を食べることに文句を言ったりはしない。自分の主義を守りながら他人の主義を尊重する。そして正義のために闘うのだ。
ターちゃんの正義は、動物、つまり家族を守るために闘う正義だ。そして弱いものを守るための正義だ。
だから僕はそういう人間を目指していた。
あるとき、女の子が教室でお漏らしをした。
それからその女の子は「のろい」と呼ばれるようになってイジメられた。
僕はそのことが嫌だった。
ターちゃんには「おもらしパワーアップ」というものがある。寝ながらお漏らしをするとパワーアップする技だ。だから、女の子がお漏らしをしたって悪いことだとは思わなかった。それよりも、みんなが一斉に「のろい」と呼ぶことのほうが、よっぽど悪いことだと思った。
僕はその意見を言ったのだ。
そのあと、どうなっただろうか。
女の子から感謝された?
いいや、違う。
僕の机にラクガキが書かれていた。「○○死ね」と僕の名前が書かれていた。でも僕はそれほどショックではなかった。人には好き嫌いがあるのだから、そういうこともあると思った。
しかし、このラクガキを見つけた先生がクラス会をひらいた。
そして言った。
「こういうのは困る。目立つために自分でやったんじゃないの?」
僕は否定したが、結局詳細はわからないということでクラス会は終わった。こういう話をすると「普段から疑われることをしていたんじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、それは少し違う。
昭和生まれの人ならわかると思う。当時はこういう教師が実際にいた。たとえば「○○くんは家が貧乏なので給食費を払えませんでした」とわざわざクラスの全員に発表するような教師だ。本当にいる。もし昭和生まれなのに身に覚えがないのなら運がよかったか、もしくは当事者じゃないから忘れてしまっているのだろう。
僕は女の子をかばったことは後悔していない。
机にラクガキされたことも気にしていない。
ただ、信じてもらえないことがショックだった。展開▼
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Kanonを手掛けた「Key」の第2作目にあたるのがAirだ。
Airは恋愛アドベンチャーにカテゴライズされるが恋愛要素は少ない。どちらかと言えば母と子の愛情が主軸となっている。僕はKanonのと…Kanonを手掛けた「Key」の第2作目にあたるのがAirだ。
Airは恋愛アドベンチャーにカテゴライズされるが恋愛要素は少ない。どちらかと言えば母と子の愛情が主軸となっている。僕はKanonのときと同じくドリームキャストでプレイした。
やはり衝撃的な体験だった。僕は、ときめきメモリアルやシスタープリンセスのような女の子のキャラクターが登場するノベル形式のゲームを遊んだことがなかった。Kanonが初めてでAirが2番目だ。そういったゲームをよくプレイする人ならお決まりの展開があったかもしれないが、僕にとってはいろいろなことが初めての体験だった。そしてまた音楽をカセットテープに録音して聞き続けた。
このとき、僕はもう、親から捨てられたことを理解していた。自分は親に捨てられるくらい価値がない人間だと納得していた。
しかし夜になると恐怖感が訪れる。
そんなときはドリームキャストを起動させた。14型の小さなテレビの明かりだけが光る部屋で、オレンジ色のボールがDreamcastの文字を浮かび上がらせグルグルと渦巻いたロゴを描く。
Airは次の一説からスタートする。
「我が子よ…よくお聞きなさい。」
当時の僕は、Airが描く母と子の物語に没頭することになる。
そんな僕の日常を彩ったのが同人CDというものだ。同人CDは、その作品が好きな人たちが楽曲をアレンジして制作したCDのことだ。いまでこそネット配信が主流になり、CDのプレス代がかからなくなり、商業的に同人音楽をつくる人も増えてきたが、当時はまだ「好き」だけで音楽制作をしていた人が多かったように感じる。
僕は都会住まいではない。だから同人CDが売っているお店までは、とんでもない距離があった。それこそ弱虫ペダルの世界だ。
弱虫ペダルは週刊少年チャンピオンで連載された漫画だ。主人公はアニメグッズを買うために千葉から秋葉原まで毎週90キロをママチャリで走る。
僕の場合はたった1枚の同人CDを買うために長距離を走った。お金がなくて高いものは買えない。600円のCDを買って帰ってくる。僕にとっては自転車の道のりと、ドリームキャストが青春なのだ。展開▼
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2025年の夏に次のような報道があった。
ある母親は眠っている10歳未満の子どもを家において買い物に出かけた。目が覚めた子どもが母の不在に驚き、泣きながらコンビニに駆け込んだところ母親が育児放棄…2025年の夏に次のような報道があった。
ある母親は眠っている10歳未満の子どもを家において買い物に出かけた。目が覚めた子どもが母の不在に驚き、泣きながらコンビニに駆け込んだところ母親が育児放棄の容疑で逮捕される……といった内容だ。
僕は小さい頃に似たようなことがあった。
深夜0時。普段はしないおねしょをして目を覚ました。家の中を見回すと誰もいなかった。とりえあず濡れていたパジャマを脱いでパンツを取り替えた。
「こんな夜なのに誰もいない」……それが怖くなり、パジャマの上着と白いブリーフで外に出た。変態だって?いいや、ズボンの場所も自分ではわからないほど幼かっただけだ。
「親がいなくなった」と報告するため近所の知っている家のチャイムを押して回った。一軒だけ起きている家があり、玄関に出てきたオバサンに事情を説明した。
自宅で待つように言われた。僕は自分の家に戻り、玄関を入ったところで立っていた。しばらくして親が帰宅して僕は怒られた。
それから夜に眠っても1時間後に目が覚める日々が始まった。
22時に目を覚ます。
親がいない。
玄関の前で立って待つ。
2時間ぐらいで帰ってくる。
この状態を繰り返した。
普通なら、親が書き置きをして出かけるとか、僕が寝る前に行き先や帰り時間を伝えておくとか、そういったことができるはずだ。言えない用事なら嘘をついたっていい。
大人なのだから。
でも、僕の親は「そういうこと」ができない。配慮ができない。心を通じ合わせることができない。
だから毎日、僕は眠らずに立っていた。
そして数年後に僕は親から捨てられた。
家族というものに強い憧れがあった。
僕の家族の代わりになったのがクレヨンしんちゃんという作品だ。
クレヨンしんちゃんは僕にとってギャグアニメではない。野原ひろし、野原みさえ、野原しんのすけ、野原ひまわり、シロからなる5人家族が登場する。
大事なことはしんのすけがどんなに常識外れなことをしてもひろしとみさえが子どもを捨てないことだ。
さらに大切なのは幼稚園の仲間たち。彼らは血のつながった家族ではない。しんのすけとは他人である。でも、しんのすけが迷惑をかけても友達をやめることはない。それは絶対に捨てない関係性であり、永遠の約束だ。
クレヨンしんちゃんとは、絶対に捨てられないことが確約された世界なのである。僕はその世界を見て安心を感じる。クレヨンしんちゃんを見ていると家に帰ってきた気分になる。展開▼
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遺書を残し、親が失踪してから6ヶ月。
原因は借金だった。だから借金取りに脅された。「お前の親は悪いことをしたんだ」「だからお前も悪いんだ」と怒鳴られた。
そのとき僕は中学3年生だった。
15…遺書を残し、親が失踪してから6ヶ月。
原因は借金だった。だから借金取りに脅された。「お前の親は悪いことをしたんだ」「だからお前も悪いんだ」と怒鳴られた。
そのとき僕は中学3年生だった。
15歳なんて大人に片足を突っ込んだ年齢だと思うかもしれない。全然そんなことはない。借金取りに脅されたら、ただ怖くて震えるだけだ。
そして、ある日のこと……。
親が帰ってきた。生きていたのだ。
そして約束をした。大切な約束だ。「もう居なくならない」と言った。
失踪したことも、借金取りもどうでもいい。大事なのは「もう居なくならない」という約束だった。
しかし、ほどなくして約束は破られる。
その日、僕は学校から帰ってきて、嫌な予感がした。家の駐車場に車がある。仕事でいないはずの時間だ。なんだか冷や汗が出た。部屋の奥に入った僕は119に電話をかけることになる。親は睡眠薬をガブ飲みして手首を切って倒れていたからだ。
大事なのは約束だ。約束は破られた。
僕は親から捨てられたのだ。
この絶望から僕を守ったのがドリームキャストというゲーム機だった。
親に捨てられる少し前、ちょうどKanonというゲームを買っていた。KanonはKeyが制作したアドベンチャーゲームの第1作目。最近で言えば「ヘブンバーンズレッド」の系譜と言えばわかるだろうか。Kanonは約束と別れと奇跡の物語だ。約束をした大切な人との強制的な別れ。その別れに奇跡で抗うのがKanonのストーリーである。
ストーリーはもちろんのこと、音楽がとても良かった。当時の僕は、美しいメロディのピアノ曲、なんてものに触れたことがなかった。だからKanonが奏でる音楽に魅了された。親から捨てられた悲しみを乗せて音楽を聞いた。ゲームを起動したあとの朝影。カセットテープに録音して聞き続けた。奇跡が起きると思った。音楽を聞きながら夜の道を歩き続けた。
現実はゲームのようにうまくはいかなかった。美坂栞が「起きないから、奇跡って言うんですよ」と言ったように。展開▼
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