ヒカルの碁は囲碁の漫画・アニメ。
小学生の進藤ヒカルが平安時代の天才棋士-藤原佐為-に取り憑かれてスタートする。最初は藤原佐為の言われた通りに囲碁を打つが、囲碁にハマったヒカルは自身も棋士を目指すよ…ヒカルの碁は囲碁の漫画・アニメ。
小学生の進藤ヒカルが平安時代の天才棋士-藤原佐為-に取り憑かれてスタートする。最初は藤原佐為の言われた通りに囲碁を打つが、囲碁にハマったヒカルは自身も棋士を目指すようになる。
藤原佐為が幽霊になったのは囲碁が好きだからだ。
神の一手を極めたいという強い想いが成仏を阻んでいる。
僕は佐為に共感する。
同じものを1000年間、熱中から冷めずに好きなのだ。
僕が90年代の作品について話すと「懐かしい」と言われる。
平成生まれ、令和生まれはもちろんのこと、昭和生まれの人にも懐かしい話題だと。
でも僕にとっては昨日のことだ。
作品に出会ったときの衝撃と、好きになった情熱を、いまでも失っていない。
スマホの壁紙も、着信音も、好きな作品のままだ。
フリマアプリで当時のグッズを買い続けてる。
いくら年月が過ぎようとも、好きな気持ちはいっこうに衰えない。
1000年後も同じだ。
ヒカルの碁では、その先に何があるのかも描かれている。
1000年好きでいた先に何があるか。
僕が死ねば集めたグッズは処分されるだろう。アンティークや歴史的資料ではない。価値がないと判断されて一括で処分される。
好きな気持ちは自己満足だ。自己満足でいい。
僕という存在は作品に育てられた。
僕がつくる作品には、スレイヤーズ、クレヨンしんちゃん、魔法陣グルグルなど、多くの作品の血が混ざってる。
きっとエッセンスが紡がれる。
ほんの少しだけ、たった1ミリだけ、未来に繋がっていく。
ヒカルの碁はそういう漫画だと僕は思っている。展開▼
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魔法陣グルグルは、ガンガンで連載されていたギャグ漫画だ。ミグミグ族だけが使える魔法、グルグルを使える少女ククリと、少年勇者のニケが旅に出る。
グルグルで僕が好きなところの1つにドラゴンクエストのパ…魔法陣グルグルは、ガンガンで連載されていたギャグ漫画だ。ミグミグ族だけが使える魔法、グルグルを使える少女ククリと、少年勇者のニケが旅に出る。
グルグルで僕が好きなところの1つにドラゴンクエストのパロディ部分がある。キャラクターの身にイベントが起きた時、漫画の中にメッセージウィンドウが表示される。
黒いウィンドウに白い文字。『勇者は○○をした』といった感じだ。いわゆるメタ発言・メタ認知である。漫画の世界と、その漫画を外側から眺めている存在が、1つのページに混在している。
僕は幼少期からツラいことが多かった。ツラくなるたびにメッセージウィンドウを思い浮かべた。『○○は痛い思いをした』とか『○○は裏切られた』とか……、ウィンドウでツッコミが入ると、ショックな出来事が、ただのイベントのように感じられる。
思い出すのは夏休みのことだ。
2025年の夏、夏休みには学校給食がないため経済的余裕のない家での子どもの食事が減っているとニュースが流れた。僕にも似たような経験がある。
お昼を買うためのお金がテーブルに置いてある。しかし、それだけでは満腹にならない。お腹が空いた状態でお昼を食べ終わることが多かった。
こんなときはウィンドウだ。
『勇者は空腹を忘れてしまった』
考えないようにする。
子を愛する親であれば「お腹いっぱい食べさせたい」という感情が湧くはずだ。
だからきっと空腹なのは間違いだ。
空腹が現実なら、まるで愛されていないみたいじゃないか。
お腹が減ったらグルグルのページをめくればいい。
キタキタおやじがワキでおにぎりを握っているから食欲なんて失せてしまうのだ。展開▼
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僕が見たのははキャサリン・ライアン・ハイドの小説を原作とする映画だ。
中学1年生の少年は学校の課題をキッカケに社会運動を始める。
「ペイ・フォワード」
自分が善意を受け取ったとき、相手にお返し…僕が見たのははキャサリン・ライアン・ハイドの小説を原作とする映画だ。
中学1年生の少年は学校の課題をキッカケに社会運動を始める。
「ペイ・フォワード」
自分が善意を受け取ったとき、相手にお返しをするのではなく、別の3人に善意を渡す。すると世界中が善意であふれるようになる、という提案だ。
この映画は衝撃的な結末だと言われる。
僕は、この結末が好きだ。なぜならこの結末にリアリティを感じるからだ。
"善意を渡す"を続けると必ずこうなる。
以前、クラスのイジメをとめたら自分がターゲットにされたと書いた。その前日まで、普通に何人も友達がいた。グループに入っていた。休みの日にスポーツをしたり、一緒に買い物に行ったり、学校生活を楽しんでいた。
イジメをとめた瞬間に全てを失った。
"善意を渡す"というのは個人の利益を手放すということだ。
もちろん不満はない。僕が勝手にやったことだ。
勝手に個人の利益を手放した。
だけど、こっそり、誰もいないところで、「イジメをとめて偉かったね」とか「ターゲットにならないために無視はするけど本心では嫌ってないよ」とか、たったひとことでも言葉をかけてくれる人がいたら、よかった。
1人でもいたらそれでよかった。でも現実には1人もいなかった。"善意を渡す"を続けると必ずこうなるのだ。展開▼
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僕が見たのは漫画版だ。テイストが違うようなので実写版は見ていない。
主人公の2人は不良だ。1970年~80年のツッパリと呼ばれるタイプの不良であり、暴力や犯罪的なこともする。僕の時代にはもうツッパ…僕が見たのは漫画版だ。テイストが違うようなので実写版は見ていない。
主人公の2人は不良だ。1970年~80年のツッパリと呼ばれるタイプの不良であり、暴力や犯罪的なこともする。僕の時代にはもうツッパリは絶滅していたが、イジメは相変わらず存在していた。
僕が好きだったのは伊藤真司が持っている"意地"だ。具体的には、よってたかって、を許さないところだ。
だから僕もそうした。
高校のクラスメイトの男子がイジメられていたので助けたいと思った。
よってたかって、が気に入らなかった。
僕が主犯に突っかかったことで、その男子がイジメられることはなくなった。
漫画なら、めでたしめでたしの展開。
現実は違う。
それから僕は卒業までターゲットになった。
約1年間にわたって攻撃を受けた。
もともと仲の良かった友達も、僕とは話さなくなった。
僕が助けた男子が、近寄ってくることもない。
昨日までは学校が終わったあと遊びに出かけていたのに。
急に独りになった。
たった1日の行動で1年間のポジションが変わる。
それでも後悔しなかった。
意地を張り通したからだ。
自分が正しいと思うことをし続ける。
伊藤真司から受け取った意地はまだ折れてない。展開▼
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ターちゃんは幼い頃にサバンナに捨てられ、チンパンジーに育てられた。
小学生だった僕がターちゃんから教わったことは正義の心と多様性だ。ターちゃんは動物が好きなので肉を食べない。だが、他人が肉を食べる…ターちゃんは幼い頃にサバンナに捨てられ、チンパンジーに育てられた。
小学生だった僕がターちゃんから教わったことは正義の心と多様性だ。ターちゃんは動物が好きなので肉を食べない。だが、他人が肉を食べることに文句を言ったりはしない。自分の主義を守りながら他人の主義を尊重する。そして正義のために闘うのだ。
ターちゃんの正義は、動物、つまり家族を守るために闘う正義だ。そして弱いものを守るための正義だ。
だから僕はそういう人間を目指していた。
あるとき、女の子が教室でお漏らしをした。
それからその女の子は「のろい」と呼ばれるようになってイジメられた。
僕はそのことが嫌だった。
ターちゃんには「おもらしパワーアップ」というものがある。寝ながらお漏らしをするとパワーアップする技だ。だから、女の子がお漏らしをしたって悪いことだとは思わなかった。それよりも、みんなが一斉に「のろい」と呼ぶことのほうが、よっぽど悪いことだと思った。
僕はその意見を言ったのだ。
そのあと、どうなっただろうか。
女の子から感謝された?
いいや、違う。
僕の机にラクガキが書かれていた。「○○死ね」と僕の名前が書かれていた。でも僕はそれほどショックではなかった。人には好き嫌いがあるのだから、そういうこともあると思った。
しかし、このラクガキを見つけた先生がクラス会をひらいた。
そして言った。
「こういうのは困る。目立つために自分でやったんじゃないの?」
僕は否定したが、結局詳細はわからないということでクラス会は終わった。こういう話をすると「普段から疑われることをしていたんじゃないか」と思う人もいるかもしれないが、それは少し違う。
昭和生まれの人ならわかると思う。当時はこういう教師が実際にいた。たとえば「○○くんは家が貧乏なので給食費を払えませんでした」とわざわざクラスの全員に発表するような教師だ。本当にいる。もし昭和生まれなのに身に覚えがないのなら運がよかったか、もしくは当事者じゃないから忘れてしまっているのだろう。
僕は女の子をかばったことは後悔していない。
机にラクガキされたことも気にしていない。
ただ、信じてもらえないことがショックだった。展開▼
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Kanonを手掛けた「Key」の第2作目にあたるのがAirだ。
Airは恋愛アドベンチャーにカテゴライズされるが恋愛要素は少ない。どちらかと言えば母と子の愛情が主軸となっている。僕はKanonのと…Kanonを手掛けた「Key」の第2作目にあたるのがAirだ。
Airは恋愛アドベンチャーにカテゴライズされるが恋愛要素は少ない。どちらかと言えば母と子の愛情が主軸となっている。僕はKanonのときと同じくドリームキャストでプレイした。
やはり衝撃的な体験だった。僕は、ときめきメモリアルやシスタープリンセスのような女の子のキャラクターが登場するノベル形式のゲームを遊んだことがなかった。Kanonが初めてでAirが2番目だ。そういったゲームをよくプレイする人ならお決まりの展開があったかもしれないが、僕にとってはいろいろなことが初めての体験だった。そしてまた音楽をカセットテープに録音して聞き続けた。
このとき、僕はもう、親から捨てられたことを理解していた。自分は親に捨てられるくらい価値がない人間だと納得していた。
しかし夜になると恐怖感が訪れる。
そんなときはドリームキャストを起動させた。14型の小さなテレビの明かりだけが光る部屋で、オレンジ色のボールがDreamcastの文字を浮かび上がらせグルグルと渦巻いたロゴを描く。
Airは次の一説からスタートする。
「我が子よ…よくお聞きなさい。」
当時の僕は、Airが描く母と子の物語に没頭することになる。
そんな僕の日常を彩ったのが同人CDというものだ。同人CDは、その作品が好きな人たちが楽曲をアレンジして制作したCDのことだ。いまでこそネット配信が主流になり、CDのプレス代がかからなくなり、商業的に同人音楽をつくる人も増えてきたが、当時はまだ「好き」だけで音楽制作をしていた人が多かったように感じる。
僕は都会住まいではない。だから同人CDが売っているお店までは、とんでもない距離があった。それこそ弱虫ペダルの世界だ。
弱虫ペダルは週刊少年チャンピオンで連載された漫画だ。主人公はアニメグッズを買うために千葉から秋葉原まで毎週90キロをママチャリで走る。
僕の場合はたった1枚の同人CDを買うために長距離を走った。お金がなくて高いものは買えない。600円のCDを買って帰ってくる。僕にとっては自転車の道のりと、ドリームキャストが青春なのだ。展開▼
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