2025年の夏に次のような報道があった。
ある母親は眠っている10歳未満の子どもを家において買い物に出かけた。目が覚めた子どもが母の不在に驚き、泣きながらコンビニに駆け込んだところ母親が育児放棄…2025年の夏に次のような報道があった。
ある母親は眠っている10歳未満の子どもを家において買い物に出かけた。目が覚めた子どもが母の不在に驚き、泣きながらコンビニに駆け込んだところ母親が育児放棄の容疑で逮捕される……といった内容だ。
僕は小さい頃に似たようなことがあった。
深夜0時。普段はしないおねしょをして目を覚ました。家の中を見回すと誰もいなかった。とりえあず濡れていたパジャマを脱いでパンツを取り替えた。
「こんな夜なのに誰もいない」……それが怖くなり、パジャマの上着と白いブリーフで外に出た。変態だって?いいや、ズボンの場所も自分ではわからないほど幼かっただけだ。
「親がいなくなった」と報告するため近所の知っている家のチャイムを押して回った。一軒だけ起きている家があり、玄関に出てきたオバサンに事情を説明した。
自宅で待つように言われた。僕は自分の家に戻り、玄関を入ったところで立っていた。しばらくして親が帰宅して僕は怒られた。
それから夜に眠っても1時間後に目が覚める日々が始まった。
22時に目を覚ます。
親がいない。
玄関の前で立って待つ。
2時間ぐらいで帰ってくる。
この状態を繰り返した。
普通なら、親が書き置きをして出かけるとか、僕が寝る前に行き先や帰り時間を伝えておくとか、そういったことができるはずだ。言えない用事なら嘘をついたっていい。
大人なのだから。
でも、僕の親は「そういうこと」ができない。配慮ができない。心を通じ合わせることができない。
だから毎日、僕は眠らずに立っていた。
そして数年後に僕は親から捨てられた。
家族というものに強い憧れがあった。
僕の家族の代わりになったのがクレヨンしんちゃんという作品だ。
クレヨンしんちゃんは僕にとってギャグアニメではない。野原ひろし、野原みさえ、野原しんのすけ、野原ひまわり、シロからなる5人家族が登場する。
大事なことはしんのすけがどんなに常識外れなことをしてもひろしとみさえが子どもを捨てないことだ。
さらに大切なのは幼稚園の仲間たち。彼らは血のつながった家族ではない。しんのすけとは他人である。でも、しんのすけが迷惑をかけても友達をやめることはない。それは絶対に捨てない関係性であり、永遠の約束だ。
クレヨンしんちゃんとは、絶対に捨てられないことが確約された世界なのである。僕はその世界を見て安心を感じる。クレヨンしんちゃんを見ていると家に帰ってきた気分になる。展開▼
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漫画版デスノートは読み始めると止まらない。
修行シーンみたいにダレるシーンもないし、頭脳戦でどんどん話が進んでいく感じがすごく好きでした。
主人公の夜神月が、状況に応じていくつもの顔を使い分けると…漫画版デスノートは読み始めると止まらない。
修行シーンみたいにダレるシーンもないし、頭脳戦でどんどん話が進んでいく感じがすごく好きでした。
主人公の夜神月が、状況に応じていくつもの顔を使い分けるところにリアリティを感じてます。
外では明るいキャラクターでいようとするんですけど、一人の時は全然そんなことなかったりして。
自分もポジティブな自分とネガティブな自分を使い分けていることが結構あります。
今、編集の仕事をしているんですけど、とりあえずその場では前向きなことを言っておいて、後からなんとか帳尻を合わせる、みたいなやり方で結果を出していることが多いです。
社会人になって最初に覚えたのが、進捗を聞かれた時にうまく切り抜けるスキルでした。
あとはライトが社会のルールに縛られないのもポイント高いです。
ルールに縛られてたら無理なことって多いと思うんで。展開▼
ヤシャ さんの推しをもっと見る
今日はドラゴンボールについて書いてみたいと思うんですけど。ドラゴンボールの凄みっていうのは全42巻の巻数にあわれてますよね。
日本のコミックで言えば、ジョジョの奇妙な冒険なんかで言うとシリーズで1…今日はドラゴンボールについて書いてみたいと思うんですけど。ドラゴンボールの凄みっていうのは全42巻の巻数にあわれてますよね。
日本のコミックで言えば、ジョジョの奇妙な冒険なんかで言うとシリーズで100巻以上ありますし、ワンピースやコナンも100巻以上ですね。NARUTOは72巻、キン肉マンは89巻というわけなんですけど。そういう視点で見るとドラゴンボールは短いなぁと思うわけです。
それでいて敵キャラがハッキリしている。ワンピースの敵キャラって聞かれたときにたくさんいますよね。第10巻まで見ても、アルビダ、斧手のモーガン、道化のバギー、百計のクロ、ドンクリーク、アーロン、スモーカーですから7名も名前が挙がります。○○編として区切りの入るボスクラスだけでも5名はいますよね。
いっぽうドラゴンボールはと言うと17巻から35巻までの間のボスはフリーザとセルだけなんですよ。ボスが少なくても漫画が成り立つのがドラゴンボールの凄みの1つだと僕は思ってますね。
この全42巻っていうのは日本では『ドラゴンボール』という漫画なんですが、北米/英語圏だと違う扱いなんですよ。1巻~16巻までを『ドラゴンボール』として発売し、17巻~42巻を『ドラゴンボールZ』として発売してます。
この分けかたは、まぁ、少年時代の悟空、大人になった悟空という分類であって、正しいんですけれど。僕的には違った分類もできるんじゃないかと思ってますね。初年期~ナメック星の終了までの前編と、その後からブウ編のラストまでを描いた後編。
前編と後編では物語の根幹が違うんですよ。前編はドラゴンボールが軸なんです。玉を探して集めることだったり、悪いやつに願いを叶えられないように玉を奪い合うことが根幹にある。後編になるとドラゴンボールは道具として描かれるようになります。物語の主軸は敵を倒すことであって、セルもブウもドラゴンボールを狙っているわけではありませんから。
一応、アニメオリジナルではありますが、ドラゴンボールGTではボールを根幹にした物語に戻りますから、僕はその点に関してはドラゴンボールGTもとても素晴らしい作品だと思いますね。展開▼
霜降り肉 さんの推しをもっと見る
僕にとっての東京喰種は、そうですね、半分だけ狂気を飼っているという意味では共感できるものなんです。
主人公は金木研という男。カネキは普通の人間でしたが喰種だったリゼの臓器が移植されて半喰種となっ…僕にとっての東京喰種は、そうですね、半分だけ狂気を飼っているという意味では共感できるものなんです。
主人公は金木研という男。カネキは普通の人間でしたが喰種だったリゼの臓器が移植されて半喰種となってしまいます。人間と喰種のハーフになった彼は苦悩の日々を過ごします。
喰種の証である赫眼は左目だけに現れコントロール不能、喰種と同じように人間を肉を食べなければいけない、というように、喰種の仲間にも人間の仲間にもなれない葛藤。
僕と一緒です。
昼間の僕は、ごく普通の人間であり、会社員として振る舞っています。上司からも可愛がられていますし、決められた役割は全うしているつもりです。会話は人間らしくあるための作り話で本心は一つも話していません。
夜になると僕は街に吸い込まれてしまいます。お金を払って相手を傷つける権利を買うんです。肉体的な飢えじゃありません。魂の飢餓感を埋めるために攻撃的でサディスティックな部分をさらけ出す。
彼女たちは事前に決められた台本の通り演じてくれます。叫び声も涙も懇願も計算された舞台装置。僕が支払った金額分の時間が終われば繋がりは消え、虚無感だけが残ります。
僕はこの渇望に喰種の食事を重ねて見ています。昼間と夜の二面性を持ち、限られた場所でのみ本性を解放する。
きっと誰しも人間はこうなのではないでしょうか。展開▼
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